大学の中で働いているひとのブログ

2012年3月に某国公立大学の工学部を卒業。 ・・・7年がかりで。えへへ(笑えない)卒業した後、転職先の職場は再び大学になりました。教育やら就職やら、大学から見た社会やらに関する四方山話をつらつら書きます。あ、でもたいていは仕事の愚痴ですかねぇ・・・w

あちゃぁ・・・。

<国公立大入試>2次の学力試験廃止 人物評価重視に

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131011-00000014-mai-life

えー、マジで?ってのが率直な感想。反対です。

 

何を目指そうとしてるのか、すごくなんとなく、解釈は出来る、ような気がする

のですが、いや実際無理っしょー。というのが、口語体での感想です。

 

「人物評価重視」ってのが、アヤしい・・・。

18そこそこの人をかき集めて、どんな人物が優れていて、

どんな人物が劣っているのか、大人が査定しようってんだから、

オコガマシイ話だ、と私は思います。

 

ヘルシング」っていう、吸血鬼の漫画があるんですけれど(急に話が飛ぶなw)、

敵キャラが本陣に攻め込んできて、宣戦布告をするシーンがあるのです。

「狂人め・・・!神はお前を許さぬぞ」みたいな台詞を言われて、敵はこう言うのです。

「私の狂気はお前らの神が保障してくれるというのか。ならばお前らの神が正常である

という保障は、いったい誰がしてくれるのだ!?」

 

・・・ええと、つまり何が言いたいか、というとですね。

公平公正、公正名大な「人物評価」をする人間は、誰が保障するんですか、ってこと。

それは、大学の人ですか?教員?職員?

 

しょーもない話、面接官がお腹痛かったら、公平じゃなくなりそうじゃないですか?

(少なくとも私が面接官だったら、何かしらのバイアスがかかると思います)

昨日徹夜で仕事していたら?国際論文の締め切りに追われてて、かつ実験装置が壊れてて、

科研費の初稿を教授に見せなきゃいけなかったら?奥さんや息子との不和があり、

何か挽回しなきゃな、とか考えていたら?(極端な話、ですけど)

 

面接官が人である以上、総合的な人物評価になるかと思います。

それは、面接官が変わったら、評価も変わってしまう(変わりうる)、ということです。

それって、受験する側からしたら、納得いかなくないですか?

(同時に2人の面接を受けて、落ちた、受かったって状況は起きないので、

検証しようがないのですが、ちょうどボーダーに乗っかる学生は変わるでしょう)

 

受験生側も、ちょっと顔立ちが良くて、ちょっと口が達者で、いわゆる”いい子ちゃん”

なら、一定以上の学力があれば、どの大学も(理屈で言えば)通過できてしまう、って

ことになりませんか?”元・いい子ちゃん”な私は、なんか、複雑な気分です。

 

口下手でも、すごく勉強のデキる子がいるし、シャイでも一芸に秀でている人もいます。

マニアックに1つのことを探求して他のバランスを壊しているような人もいます。

そんな”非常識のカタマリ”みたいな18歳に対して、オジさん世代が面接をして、

人物重視の評価をする・・・んでしょうか。

それって、大学が単なる優等生を欲しがっている、ってことでしょうか。

 

「人間力」って確かにあるかと思います。オーラというか、雰囲気というか、

その人から滲み出てくる、凄みみたいなものや、行動特性、性格特性、のような。

大学でそれを育てるのが、大学本来の役割なのではないでしょうか。

上からの言うこと聞いてくれそうな”いい子ちゃん”がウジャウジャしている場所では、

金太郎飴みたいな22歳しか、輩出できないと思うのですけれど。

 

大学って、もっとグチャグチャしていて、いいと思うんですけれどね、個人的には。

ただ、扱う学問のレベルが、それぞれ異なるから、基礎学力、という、点数でハッキリと

評価できるもので、ふるいにかけているんじゃないかと。

人間力は、生涯をかけて培われるもの。18で完成されている人間なんて、つまらない。

「大人の顔色を伺う18歳」って、なんか気持ちよくないでしょ?

 

大学で学ぶことが大きく変わらないのに、入試制度だけ変化させる。

いったい、これで誰が得をするのでしょうか。

 

・・・すごく散文ですね。まとまりがない(読み返して赤面ものです)

でも、脳内だだ漏れ、でよいので、投下しておきます。