大学の中で働いているひとのブログ

2012年3月に某国公立大学の工学部を卒業。 ・・・7年がかりで。えへへ(笑えない)卒業した後、転職先の職場は再び大学になりました。教育やら就職やら、大学から見た社会やらに関する四方山話をつらつら書きます。あ、でもたいていは仕事の愚痴ですかねぇ・・・w

なにげなく投稿を再開してみる(3年越し)

2013年にこのブログを作成してから、

まぁ見事に放置をしておりました(笑)

 

就職⇒転職で、また大学が職場になりましたので、

旧「大学のことを考えてみるブログ」を再開です。

 

最近は、就職支援に関わるお仕事をメインにして、

情報教育(PC講座とかメールマナーとか?)や、

英語教育…は、副業的にやっているソンザイです。

 

まま、自身の備忘録代わりに。

 

【2016年8月-9月出張日程】

8/6@名古屋:パソコンと戯れる

8/9-8/12@神戸-大阪:パソコンと戯れる…?

8/20@名古屋:職場の方と戯れる

8/24@名古屋:パソコンと戯れる:

8/25-26@蒲郡:パソコン…関係で頑張る学生と戯れる

9/4-6@北海道:キャリアの事業で頑張る人達と戯れる

9/9@浜松:職場の若手と戯れる

9/10-11@静岡:期間限定の仕事仲間(なりたて)と戯れる

9/13-15@東京:未来の国の担い手(…の卵たち)と戯れる

 

うーん、あっはっはっは。

 

あちゃぁ・・・。

<国公立大入試>2次の学力試験廃止 人物評価重視に

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131011-00000014-mai-life

えー、マジで?ってのが率直な感想。反対です。

 

何を目指そうとしてるのか、すごくなんとなく、解釈は出来る、ような気がする

のですが、いや実際無理っしょー。というのが、口語体での感想です。

 

「人物評価重視」ってのが、アヤしい・・・。

18そこそこの人をかき集めて、どんな人物が優れていて、

どんな人物が劣っているのか、大人が査定しようってんだから、

オコガマシイ話だ、と私は思います。

 

ヘルシング」っていう、吸血鬼の漫画があるんですけれど(急に話が飛ぶなw)、

敵キャラが本陣に攻め込んできて、宣戦布告をするシーンがあるのです。

「狂人め・・・!神はお前を許さぬぞ」みたいな台詞を言われて、敵はこう言うのです。

「私の狂気はお前らの神が保障してくれるというのか。ならばお前らの神が正常である

という保障は、いったい誰がしてくれるのだ!?」

 

・・・ええと、つまり何が言いたいか、というとですね。

公平公正、公正名大な「人物評価」をする人間は、誰が保障するんですか、ってこと。

それは、大学の人ですか?教員?職員?

 

しょーもない話、面接官がお腹痛かったら、公平じゃなくなりそうじゃないですか?

(少なくとも私が面接官だったら、何かしらのバイアスがかかると思います)

昨日徹夜で仕事していたら?国際論文の締め切りに追われてて、かつ実験装置が壊れてて、

科研費の初稿を教授に見せなきゃいけなかったら?奥さんや息子との不和があり、

何か挽回しなきゃな、とか考えていたら?(極端な話、ですけど)

 

面接官が人である以上、総合的な人物評価になるかと思います。

それは、面接官が変わったら、評価も変わってしまう(変わりうる)、ということです。

それって、受験する側からしたら、納得いかなくないですか?

(同時に2人の面接を受けて、落ちた、受かったって状況は起きないので、

検証しようがないのですが、ちょうどボーダーに乗っかる学生は変わるでしょう)

 

受験生側も、ちょっと顔立ちが良くて、ちょっと口が達者で、いわゆる”いい子ちゃん”

なら、一定以上の学力があれば、どの大学も(理屈で言えば)通過できてしまう、って

ことになりませんか?”元・いい子ちゃん”な私は、なんか、複雑な気分です。

 

口下手でも、すごく勉強のデキる子がいるし、シャイでも一芸に秀でている人もいます。

マニアックに1つのことを探求して他のバランスを壊しているような人もいます。

そんな”非常識のカタマリ”みたいな18歳に対して、オジさん世代が面接をして、

人物重視の評価をする・・・んでしょうか。

それって、大学が単なる優等生を欲しがっている、ってことでしょうか。

 

「人間力」って確かにあるかと思います。オーラというか、雰囲気というか、

その人から滲み出てくる、凄みみたいなものや、行動特性、性格特性、のような。

大学でそれを育てるのが、大学本来の役割なのではないでしょうか。

上からの言うこと聞いてくれそうな”いい子ちゃん”がウジャウジャしている場所では、

金太郎飴みたいな22歳しか、輩出できないと思うのですけれど。

 

大学って、もっとグチャグチャしていて、いいと思うんですけれどね、個人的には。

ただ、扱う学問のレベルが、それぞれ異なるから、基礎学力、という、点数でハッキリと

評価できるもので、ふるいにかけているんじゃないかと。

人間力は、生涯をかけて培われるもの。18で完成されている人間なんて、つまらない。

「大人の顔色を伺う18歳」って、なんか気持ちよくないでしょ?

 

大学で学ぶことが大きく変わらないのに、入試制度だけ変化させる。

いったい、これで誰が得をするのでしょうか。

 

・・・すごく散文ですね。まとまりがない(読み返して赤面ものです)

でも、脳内だだ漏れ、でよいので、投下しておきます。

それでも私たちは、教育について考えなくてはならない。

http://blog.tatsuru.com/2013/04/07_1045.php

「学校教育の終わり」という、ちょっと衝撃的なタイトル。

しかし、いちいちもっともで、なんとも複雑な気持ちになりました。

特にグッときた部分をぽつんぽつんと、引用します。

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「日本の学校制度のどこが悪いのでしょうか」と訊かれるならば、「全部悪い」と答えるほかない。

学校教育システムを全部変えなければいけないのだが、部品は今あるものをそのまま「使い回し」てゆかなければならない。いわば、自動車を走らせながら修理するようなことを私たちは求められているのである。

学校教育の目的は「国家須要の人材を育成すること」から、「自分の付加価値を高め、労働市場で高値で売り込み、権力・財貨・文化資本の有利な分配に与ること」に切り替えられた。教育の受益者が「共同体」から「個人」に移ったのである。

グローバル資本主義国民国家とも、学校教育とも「食い合わせが悪い」のである。

不思議なことだが、「正直なところ、日本なんかどうなってもいい」と思っている人間しか社会的上昇が遂げられないように今の社会の仕組みそのものが再編されつつあるのである。

欧米の学校教育は、まだ日本の学校ほど激しく劣化していない。「何のために学校教育を受けるのか」について、とりあえずエリートたちには自分たちには「公共的な使命」が託されているというノブレス・オブリージュ」の感覚がまだ生きているからである。

国民国家が解体する過程で、公教育は解体する。だが、「私塾」はそうではない。

隣人の顔が見え、体温が感じられるようなささやかな規模の共同体は経済のグローバル化が進行しようと、国民国家が解体しようと、簡単には消え失せない。そのような「小さな共同体」に軸足を置き、根を下ろし、その共同体成員の再生産に目的を限定するような教育機関には生き延びるチャンスがある。

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うーん、こういう「誰かが思っていたようなことだけれど、誰も語っていないこと」をサクッと言葉に出来る、という点では内田樹氏は、ほんとうに天才的に上手だと、私は思います。

最近の自己分析で、教育に関わりたい私の気持ちがハッキリと自覚できたのですが、こういう、今まで誰も体験したことのない局面に対して、何か不安であったり、と同時に可能性が開くことを察しているのかもしれないな、と(カッコつけていうのなら)思います(キリッ

歴史は繰り返される、といいますが、ここまでグローバル化が進み、ここまでインターネットで、一瞬に情報が行き来する時代を、今以上に誰も人間は体験をしていないのです。個々人で見ればハイ・スコアがあるでしょうけれど、全人類の「平均値」がその量・質と共に、大きく変化せざるを得ない時代が、今、押し寄せているんじゃないかと、背筋がブルっとします。

 

時代が変わったから、いらなくなるものと、時代が変わっても絶対に必要なものがあります。

 

私事ですが、最近京都に小旅行に行く機会がありまして、SLの博物館?に行きました。当時は蒸気機関車が最先端の乗り物で、雇用も増えて、路線もバンバンできつつある時代。

その中で「機関車の中で石炭を適切に投入する仕事」というものがあったそうです。

燃える石炭の間近で、適量を、適切な位置に投げ込む。観察力や体力など、色々な面で結構「キツい」仕事だったのだろうなぁ、と思います。同時に、訓練施設が出来、その技術を教える講師がいて・・・。という時代だったのですが今はそんな仕事してる人なんていません。

要は、時代によって求められているスキルや考え方は、めまぐるしく変化していく、ということ。それは職業選択にも直結し、職業選択の(手前側の)延長上には、教育の期間があるのです。

さて、でも私たちはこれから、そんな「先物買い」のように教育機会を選択していくことが「ベスト」なのでしょうか?英語を身につけ、プログラミングが何万コードも書けるようになるために、幼少期からトレーニングを積み重ねるような人生(極端だな・・)がベスト?(世のSEさん、なんだかごめんなさい、そんなつもりじゃ・・・あ、やめて!石を投げないで!)

私は、懐疑的です。もっともっと、時代が変わっても、人が人に教えたいことって、たくさんあるんじゃないでしょうか。思いやりだったり、礼儀作法であったり、仲間づきあいであったり、健康を自分で管理する方法であったり、おいしいお店を見つける方法であったり、ムカつくことがあっても、なんとか我慢して翌日にケロっとしている方法であったり。

 

教育の向こう側にある「人材」は、工業製品みたいなモノではありません。

笑って、泣いて、怒って、悩める、人間なのです。血の通った、ヒトなのです。

時代が、どんどん変化していきます。だから変わっていかなくちゃいけない部分(柔軟性を持って対応しなくちゃいけない部分)と、だけれども変わっちゃいけない部分(イチから、丁寧に、長い目で教え、育んでいかなくちゃいけない部分)を間違えてしまうと、トンデモナイことが起きてしまいそうです。

学校教育という「制度」が「老い」てしまい、「制度疲労」を起こしている。けれども、生まれてくる子どもたちには、そんなことを言い訳にしていても、誰も幸せになりません。(「君たちが良い教育を受けられなかったのは制度が疲労していたからなんだよ」って言われてもねぇ・・・)

 

国民国家を担うことのできる成熟した市民を作り出すこと」

この目的に、私は割と、賛成です。ただ、この文言を万能薬のように使用することは、ちょっと難しいような気がします。目の前のことに対処する処方箋になってないし。

どちらが正しい・間違っているって訳じゃなく、いろんな人の言うことを「ふむふむ、それも一理あるな」と素直に受け入れつつ、じゃあ自分はどんな教育が必要だと思うのか?という、メシの種にもならないようなことを、ちょっと考えてみたくなります。にんにん(なんじゃそりゃ)。

 

教育の問題(課題)に対して「他人事」でいないこと。

自分が何を感じているかに、耳を澄ますこと。

自分に何が出来るのか、考えること(そしてできれば行動すること)。

とりあえず、そんなことをチマチマとやっていくぞ、と決意表明しておきます。

大学1年生必見!「大学生活へのアドバイス(メッセージ)」

とある、大学関係の方がFacebookにて、

「新入生に対して、社会人になったOBから新入生へ向けてのメッセージ」

を募集しているそうなので「こ、これは、私に書いて欲しいのだな!?」と勘違いして、

ザザザーっと書いた文章です。自分の大学の後輩にだけ、というのは、

なんだかもったいない気がしたので、こちらに投下しておきます。

(近々、この文章を読んだ人、つまり君は私の大学の後輩です。なははは)

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1.本(活字)をたくさん読もう(4年間で100冊は”最低限”)

 

どこかで聞いたけれど最近の大学生には「5ナイ」というものがあるようです。

「活字を読まナイ」「勉強しナイ」「恋愛をしナイ」「アルバイトをしナイ」「サークルに入らナイ」の5つです。大学を卒業してから、私は知りました。

自分の大学生活は・・・5つのうち4つはOKでした。

(どれが出来なかったのか・・・は、みなさんの想像にお任せします)

5つのうち、一人でも出来ることは「本(活字)を読むこと」です。

 

ビジネス本を読むことは、他者の経験から学ぶこと。

小説を読むことは、想像力を養う下地を作ること。

新聞を読むことは、社会の動向を考える機会を得ること。

自分や誰かの「つぶやき」だけを見て成長ができるのなら、

別に大学に来なくてもいいですよね(言いすぎですか?)

 

私が、最近読んだ本をご紹介しておきます。(新書が多いです。コストパフォーマンスが良いので)「何を読めばいいのか分からない!」という人は、参考にしてください。

 

「奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録」

「ドキュメント 宇宙飛行士選抜試験 」

「エンジニアが30歳までに身につけておくべきこと(椎木 一夫)」

「なぜ君は絶望と闘えたのか」

神様のカルテ(1・2・3)(夏川 草介)」

「失敗学実践講義 文庫増補版(畑村 洋太郎)」

「夢をかなえるゾウ(1・2)(水野 敬也)」

「1秒もムダに生きない 時間の上手な使い方(岩田 健太郎)」

「日本辺境論(内田 樹)」

「『意識の量』を増やせ!(齋藤 孝)」

 

哲学者のフランシス・ベーコンは『読むことは人を豊かにし、話し合うことは人を機敏にし、書くことは人を確かにする』という言葉を残したそうです。まずは自分という畑を、活字で豊かにしましょう。

2.たくさんの人に会おう(同級生だけじゃ、もったいない)

約400人。私が大学生活で「電話帳に登録した人の数」です。(携帯のデータを、一度ざっと見てみました。結構時間がかかりました・・・)同級生、先輩、後輩はもちろん、大学生として「大人」の人とも、出会う機会がたくさんありました。

「あった」というより「作った・恵まれた」という表現のほうが正しいかもしれません。

 

単純に数が多いほど良いかというと、そういうわけではないですが、大学生として、たくさんの人に会い、時間を共有したことで、自分が成長できた(成長する機会を得た)と感じています。

 

大学生は「もう子どもじゃない、けれども大人になりきれていない」という、なんとも中途半端な存在です。

だからこそ、自分がまだ未熟なこと、そしてそれは同時に「伸びしろがある」ということを自覚して、たくさんの人との出会いから、自分を成長させる機会を得ましょう。

なんとなく居心地の良い、気の知れた連中と”つるむ”ことが、自分が大人になるための最短経路だとは限りません。(仲間は、大事ですが)

何を考えているか分からない人、今まで会った人とは全然違う人、話の通じない人(英語圏の方なら文字通り)、人の話を聞かない人・・・どんな人との出会いからも、何かしら得るものがあるはずです。

3.「泣ける」経験をしよう(悔し涙でも、うれし涙でも)

大学生になると「泣く」という経験が少なくなります。タンスの角に小指をぶつけて・・・というイタい話ではなく、それほど「ガムシャラになって」何かをするということが、なんとなく過ごしているだけでは得にくい、ということです。

「泣ける」経験をするためには、何かひとつのことに打ち込んで、仲間と結果を共有することが、近道なのではないでしょうか。アルバイト・サークル活動・インターンシップ・委員会活動・ボランティア・恋愛・勉強・研究・就活・・・なんでもいいです。

自分が今までに経験したことのないレベルで「頑張る」ということをした時には、恥ずかしいけれど、泣けてきてしまいます。

 

「頑張る」ということのハイ・スコアを更新するくらい、何かひとつのことに打ち込むことが出来れば、それはきっとあなたの大きな自信につながるでしょう。

自分の限界にチャレンジするような経験、真剣勝負をすれば、自分が“一回り大きくなる”感覚があるでしょう。

一緒に苦楽を共にすることができた人がいるならば、その人はたぶん、一生の友人になるでしょう。

4.最後に-主体的に、大学生活を楽しもう!-

大学生活を楽しみましょう。(講義だけでなく、あらゆる意味で)大学で勉強することは辛いことでも我慢すべきことでもありません。学ぶことは喜びです。

自分が他人に何か影響を与えて、自分も成長できる。そんな一石二鳥ができる可能性を、大学という場所は持っています。

 

勉強以外でも、趣味も、恋愛も、冒険も、興味のあることは全部やってみましょう。

20代にもっているものの大事さは、40代になったらよくわかります。(私もまだ20代ですが・・・)

やりたいことは全部やっておきましょう。楽しいと思えることを先延ばしにするのは愚行中の愚行です。今やりたいことは、今やるんです!

新しく始まった自分の人生を楽しんでください。Welcome to the real world !

 

横浜薬科大のこと。

横浜薬科大に「不適合」評価…大学基準協会

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130328-00001603-yom-soci

"多数の留年者、退学者を出す状況を早急に是正するよう求めた。教員採用、昇格の透明性、公平性も高めるよう要望した。"

ええと、大学のことを考えてみるブログ、なのですが、とはいえ私は大学を(7年かけて)卒業しただけの人なので、何かみなさんにお伝えできるような情報は、もっていません。

 

なので今回は、単純に感想というか、思ったことを書きますね。

大学基準協会」とか「日本高等教育評価機構」という、組織がある、ということにビックリ。
そして、今回このことがニュースになった、ということがどういう意味があるのか。

ひとまず、頭の中にあった疑問を、列挙してみます。

・誰が作って(文部科学省の人?)、いつから活動が始まって、どういう人が「中の人」として働いている組織なのかがまず分からないので、なんだか胡散臭い。調査の結果は、ニュースになる(する)くらいなのだから、ある程度の妥当性がある、ってことにしておこう。

・(調べていないから分からないだけ、なのかもしれませんが)どういう基準が不適合、と認められるのでしょうか。その基準は誰がどのようにして決めたものなのでしょうか。そして、その決められたものがあるとして、大学側がそれを認識していた基準だったのでしょうか。

・調査対象となった大学は、どのように選ばれたのでしょうか。

・調査対象となった大学の中で不適合だったのは、他にはなかったのでしょうか。

・「~要望した」とありますが、そりゃあ要望することは誰にでもできるじゃん。調査して、指摘しておしまいです。ってなら、あとは大学任せですか?晒しモノにしたから、あとは自身で襟を正して頑張ってください、と?

・調査をしたのなら、他大学との比較ができるはず。どういうことが違うから生じている問題なのかを分析し、改良に向けた案を提案して、経過を見守る姿勢とかはないのでしょうか。自浄作用に限界があったからこその結果なので、第3者視点での情報提供が必要では。

・「留年者、退学者を出す状況を早急に是正」というのは、入試の問題なのか、教育(教員の質・カリキュラム)の問題なのか、大学の支援がショボいのか、入学者の選ばず、テキトーに合格させて、まぁとりあえず入ったから(入学金を払ってくれるから)あとはポイだ、みたいになっているからなのか、そういうのを含めて「調査」なんじゃなかろうか。

・留年者はどういう理由で留年し、退学者はどういう理由で退学しているからなのか。分からないのあれば、是非とも調査する必要があると思う。彼らは被害者なのだから。

 

・・・・・うーん、なんだかここまで書いておいてなんだけれど「他人事だから書ける文章」に成り下がっちゃってるなぁ、とちょっと反省。

当事者のみなさんは、どんな気持ちで、今回のニュースを耳にしているのか。気になります。

春から大学に入学をする高校生必見!「大学での友達の作り方」

・・・・などという、キャッチーなタイトルで釣ろうと・・・(ぇ

いやいや、詐欺じゃないです。真面目に書きます。

「友達が出来る人」にとっては「え、別に普通じゃん、アホか」

って言われそうですけれど、みんな不安だと思います。

1.そもそも、どれくらいで「友達」なのか?

などという、理系出身っぽく、定義から考えてみましょう(ぇ

・お互いの連絡先を知っている

・1回は、一緒にご飯を食べに行ったことがある

以上。・・・驚きましたか?(笑) ハードルはコレくらい低いほうがいいです。

2.友達になるために

さぁ、友達の定義も明らかになったところで(ぇ

具体的にどうやって友達をつくるのか、というところです。

・とにかく話しかけてみる(挨拶からでOK)

・とにかく話しかけてみる(挨拶+何か身近な話題を言ってみる)

1つ目と2つ目は、意味が違います。

「同じ人に、違う日に話しかけろ」

ということです。1日で友達なんて、できません(できるかもしれませんが)。

お互いに、接触回数を増やして、顔と名前を一致させる、ってのが

友達になるには必要です。逆に言うと、名前と顔が一致しない人を、

どう前向きに捉えても「私の友達です!」と、言える人はいないでしょ。

3-4人、そういう人間を作れば、大学生活のスタート、OKです。

学業?それは各自で頑張ってください。というか、

友達もいないのに勉強なんてしてる場合じゃないでしょう!

 

とさえ、私は個人的には思います。大事ですよ、友達。

少なくとも「知り合い」は、いて困りません。

 

3.友達をつくるメリットは

メリット、なんて損得勘定で付き合うのかよ!っていうツッコミはありそうです。

そうです。損得勘定で「友達」は必要なのです!

友達を作るメリット、というよりも「友達を作らないデメリット」を考えましょう。

友達がいないと・・・・

・講義で代返をしてくれない (おおっと、上級者向けすぎました)

・いつも学食で一人ご飯(それがいいんだ、って人は別かもしれませんが)

・休んだ講義のレポート内容も分からない(教授がいつも捕まるとは限らない

・友達を通じての交友関係が広がらない(友達の友達、のチカラってすごいんですよ)

・一人暮らしなら、風邪を引いても頼れる人がいない

・休みの日、一緒に遊べる人がいない

・大学を卒業した後、大学の頃の思い出話を出来る人がいない

・・・・ね、友達がいないと、こんな感じになっちゃいますよ。

 

「大学には別に交友関係いらないよ」「大学の外で友達作るよ」

という考えの方もいるかもしれません。

でも、敢えてそうする理由は何でしょうか?自分とは合わないから?

大学の中で出会える人全員と会ってもいないのに、

合ってないとか言っても説得力ないですよ。

大学の中だけが、友達を作る場ではないにしろ、同世代だったり、

同じことを勉強している人と仲良くなることは、必ず人生にプラスになります。

大げさなこと言うのなら、大学での出会いは「人生の財産」そのものです。

 

4.こんなことを、話のきっかけにしよう

・出身地(同じ県だと、親近感がグッと近づきます)

・一人暮らしかどうか(仲良くなったら、アパートに遊びに行けるチャンス)

・教養科目は何を履修するつもりか(4月の大学生の関心事のひとつ)

・サークルやバイトは何か始めたか(4月の大・・ry

・彼女(彼氏)はいるか(上級者向け。仲良くなってから聞きましょう

・大学周辺の地理(近くのコンビニ、スーパー、ゲーセン・・・なんでもアリ)

・大学までの通学手段(徒歩、電車、バス、自転車などなど)

・何故この大学(学部)に入学したか(第二志望で・・などの地雷の危険アリ、注意)

 

 

・・・どうでしょうか。

異論・反論はあるかと思います。でも、いいですよ、大学で会う友達。

変な奴も、面白い奴も、ダメな奴もいます。

どんな奴なのかは、とりあえず友達になってみないと分からないので、

ちょっと勇気を出して、大学デビュー、しましょう!

さて、記念すべき(?)第1回目ですが。

大学を測る「モノサシ」とは。

なんぞや。といった大風呂敷を広げてみました。

(つーか、これがなんだか書いてみたくて、勢い余ってブログ作成した火曜日の夜・・・)

「良い」「悪い」では、ないですが、とりあえずこんな指標があるかと。

 

・大学の規模(1000人未満/1000~5000人/5000~10000人/それ以上)

・学部の種類(理、工、農、薬、医/人文、経済、法、経営・・・など)

・就職率(ちなみに私の母校の学部は99%以上だとか・・・本当か??)

・「学生/教員」の割合(案外、分からないものですよね)

・中退率(私は、コレに注目している、とあるNPOのファンです。)                    ↑これだけ書いて「あ、あのNPOだ!」って分かった人、友達になりましょう(笑)

・偏差値(受験生の大半は、未だこの数字に踊らされているのでしょう、大変だなぁ・・・)

っと、何のソースもなくだらだら書きました。ちょっと調べたらこんなサイトが

「大学ランキング」http://www.geocities.jp/unirankrank/

うん、大体世間一般の感覚を反映している、ような気がする。

まぁ、東大京大ったら「おぉー」って、みんななるでしょ。

 

んでもって、wikiで「大学ランキング」の項があったのですが、

http://p.tl/j52E 例えば、「世界大学学術ランキング」なるものがありまして、

1.受賞卒業生の数:ノーベル賞もしくはフィールズ賞を受賞した卒業生数

2.受賞スタッフ数:ノーベル賞もしくはフィールズ賞を受賞した教員数

3.被引用研究者数:21の領域分野において引用率の高い研究者の数

4ネイチャー誌とサイエンス誌論文数:両雑誌に発表された論文の数

5論文引用数:ISIの自然科学論文引用インデックスと社会科学論文引用インデックスの被引用論分数

6.規模:上記5つの指標の総合スコアをフルタイムのスタッフ数で割った数

っていうランキングがあったりするみたいです。へぇぇ(←今調べて今知った)

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それで、ここからが私のオモウトコロなのですが(前置き長いなー)、

「良い大学」というのは、具体的にどういう大学で、どういう指標に基づくものなのか。

「良い大学」と「普通の大学」と「悪い大学」があるとすれば、何が違うのか。

ということ。ただ、注意して欲しいのですが「すごい大学=良い大学」というのとは、

ちょっと違うんじゃないのかな、と私は考えています。

 

いや、「すごい=良い」でいいじゃん。っていうのも否定はしないのですけれど、

「へー、○○君、東大出身なんだー、すごいじゃん!」って周りから言われても、

「別に、東大なんて良い大学じゃないよ・・・」と本人が思っているのならば、

(少なくとも本人にとっては)東大は良い大学じゃない(なかった)ということになります。

客観的な評価よりも、現役生、OBOGの個々人が「良い大学」と思えること

が、なんとなく(深夜のテンションで)私が考える「良い大学」の指標のひとつです。

 

もちろん、数々の「すごい」実績や数字が表れている大学は「良い大学」である確率が

高いといえるかもしれません。でも、それは大学側が出しているものだったり、

大学の一部の成果だったりするので、その大学の全員に関わる話題ではないはずです。

ノーベル賞を受賞した人がいる!ってことは自慢にはなるでしょうけれども、

それと個人が高い満足度で大学を卒業できるか(しているか)はまたちょっと別の話。

 

人にも、企業や組織にもあるように、大学にも「光と影」があるはずです。

素晴らしい研究成果をあげている大学だけれども、逮捕者が出たり、

偏差値が高いと世間では言われているけれども、中退・留年率が高かったり、

都会っぽい地域にあるだろうと思ったけれど、実は一部のキャンパスは山奥だったり←

・・・・細かなギャップを挙げていけば、けっこうキリがないものです。

 

私のこのブログは、主に日本の大学について、書いていくつもりです。

(国内のことも、別に何か知っていることがたくさんあるわけではありませんが、           海外の大学のことなんて、私には全然手に負えません。今のところは)

 

ここで読者の方に質問です(いないだろうけれど)

Q.あなたの考える「良い大学」とは、どんな大学でしょうか?

 

あぁ、できることなら、ずっと大学生でいたかった・・・。